昭和47年8月13日 特別奉修委員



 あー、36節に「草木でも芯というたら一つじゃ。神信心もこの一心を出すと、すぐにおかげが受けられる」と仰るですから。えー、このことだけには一心というようなことろから頂きたいですね。
 例えば、こうして13日会、今日は13日会です。また、特別奉修委員の方達の、まぁ祈念の、だから、このことだけには一心、ということになってまいりますことは、そのことだけには、あの形の、例えばなら、今日の特別奉修委員、これに、これがどんなことがあったっちゃ参加するというのじゃなくてね、いわゆるそれに一心がとものうておらにゃいかんて。これだけには一心。
 例えばあの、贈り物を、こうやって盆になりますと、(  ?  )といったようなところも、まぁ送ったり、送られたりするわけですけれども。やはりあの贈り物には一つの見かけがね、ボリュームもなからにゃいかんし、形もちょっと、あんまり小さいもんじゃボリュームがないといったような。
 けどもやはり結局は、あの相手に送った物が喜ばれるものでなからにゃいけないということですよね。
 だからあの、そこに一心を。信心とはそこ、そこに一心をおくわけです。ん、というようにね、一心をたてればという、あの今日、まぁ頂きましたから、このことだけには、只ならこう、このことだけには一日でん欠かしたことはなか。この御祈念会だけには一遍も欠かしたことない、というようなもんだけじゃなくてね、それにやはり一心がこめれれる。
 だから、どのこと、なかなか出来ませんけれども、このことだけには、といったようなもの。それぞれの信心のね、程度で一つ頂きたいものだと思うですね。一心ていうものはどのくらいなものか。
 私は今日、●今朝方お夢の中に、有る人が、どっか大刀洗の手前まで行くていよんなさるから、私が大刀洗に用があるから、すまんけれどもなら、ちょっと一足、自動車じゃから、ちょっとよってもらうだけよってもらえんじゃろうか、て私が言いましたら。はい、ちうちから、こう気のおおか返事をしなさってですね、そして、そこ辺に、ある、これは今夜、ご飯炊くとん炊けもんだけにはなるかんしれんちいうちから、この木の枝んごたっつば、こんくらいばっかり拾うて持って帰りなさいますもん。
 というところで目を覚めてから、はーこちらは、えー、まぁ( ? )有り難しならば、はー、よかところじゃありません。もうすぐそこじゃけんと言ういうていよるけれども、やっぱそれであんまりこう、木が乗らないごたる風でですね、そして、私木をひらいよんなさるということが、私は思いよるとが、たったそがしこでご飯が出来るもんかい、ち私が思いよるところでした。
 やっぱ、今の一心に通じるのじゃないでしょうかね。折角(  テープ切れ  )といったようなね、ものに、ちょっと、ちょっと一足伸ばしてあげりゃこの( ? )足してあげられる、はーよかところじゃありませんといったようなことが、言えれるおかげを頂きたいといったようなことをね。
 今朝から思いよって、今頂く一心と言う事を、まぁいうならば今朝当たり頂いた御理解のところに一心が立てられたら、よいよいよお徳を受けるでしょうしね。一心たてれば、すぐにおかげになると仰るのですからね、ただあのべんべんだらりとこう、なんかが続けられておるというような、何かそこに、ピリッとしたような一心がね、たてられ、出されなければいけないと思うですね。やはり思いを込めなきゃいけません。

梶原 佳行